[ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] →提灯に釣鐘 1
敏感だった感覚が衰え、まるで宇宙から地球に戻ってきたかの様なズンとした重力を感じた。 普段使っていないゲストルーム。 どこに時計があるのか分からなかった。 ブラインドの隙間から差し込む光は無い。 夜か朝かも分からなかったが、 視界が冴えているのはクスリが抜けていないからだった。 姫川は眩む頭を抑え、状況を見下ろし驚きに目を丸めた。 セックスの最中だったからでは無い。 その相手が神崎だったからだ。 組み敷いている神崎をただただ呆然と見下ろした。 かろうじて呼吸をしている。 ぐったり横たわる一糸纏わぬ身体は身じろぎしない。 力を使い果たしたようで、虚な焦点の合わない目は繋がった部分をぼんやり眺めているだけ。 頬には幾筋も涙の乾いた跡が残っている。 首筋には血の跡すらあった。 そこで初めてシーツに散る血の跡に気付いた。 身体もアザが多い。 両手首も擦り切れ、内出血で赤黒く変色している。 右手首にはその要因であろう手錠が垂れていた。 キングサイズの広いベッドだ。 自分達より先にも充分な広さがある。 恐る恐る視線をベッド端へ流せば、スタンバトンと一緒に転がるバイブや道具の数々。 それから錠剤の殻と精液が溜まる無数のコンドーム。 そんなベッドの惨状を見るに、合意のセックスで無い事は明らかで姫川の頭痛を深くさせた。 クスリに流されて覚えの無い女遊びをする事は姫川にとって日常茶飯事だった。 相手が女で、かつ普通のセックスであれば『またか』程度で続きを楽しむ所だったが、まったく覚えの無い状況に脳裏には疑問符が尽きない。 いくら覚えが無くとも男、それも神崎に手を出した自分を疑ったが、そこかしこにある使い捨てられたコンドームが確かに神崎に興奮していた事を証明していた。 姫川はうんざりと目を反らした。 神崎がいつものように学校終わりに家に来て、それからどういう流れでこうなったのか。 意識が混濁した今は分からない。 どのぐらいの時間こうしていたのかすらも。 いつも明け方に聞く鳥の声が聞こえない。 だとすると夜ではあったが、今までクスリの効果が数時間で切れた事は無かった。 だとしたら、ああ……まさか。 姫川は二度目の夜が差し掛かっているのだと悟った。 クスリが薄れて痛覚が戻り始めると、セックスし続けたろう性器がわずかに痛む。 勃起したままではあったが姫川は腰を引いた。 (うげ……ナマかよ……最悪) 神崎の体内から半分抜いた性器にコンドームは無い。 中で混ぜられた精液がクリーム状に白くネットリ性器に絡んでいる様は姫川に頭を抱えさせた。 「う、あ……」 体内を埋めていた圧迫感が消えた神崎から声が漏れる。 憔悴しきり生気も無い。 それでも逃れようと姫川の胸を押し身じろぐ。 このまま終わろうと思っていた姫川だったが、初めて聞く神崎の上ずった声に悪戯心が沸いた。 クスリの効果も完全に切れたわけでは無かった。 クスリに抗う気を捨てれば興奮の成すがままになる。 どうせ殴られ、最悪殺されるかもしれないのだ。 ここまで来たらいつも通り楽しんでもいいだろう。 姫川は神崎の震える足を腕に抱え、性器をヌプと根元まで埋め直し訊いた。 「うぐ……っ、うぅ」 「抜いてほしい?」 「…………え……?」 それは神崎にとって久しぶりに聞くまともな姫川の言葉だった。これまで動物の交尾さながら淡々と突き入れられ続け、姫川が果てると道具で休み無く身体を遊ばれ嬲られる。 そして姫川が回復すればまた無遠慮に使われた。 それが丸1日続いた。 神崎に出来る事は姫川が正気に戻るまでを耐えるのみ。 何度か気絶していた事もあった。 それでも少しすると腹の中で蠢く性器の圧迫感やスタンバトンの電流で強制的に起こされる。 ようやくそんな拷問が終わる。 神崎は安堵して力なく姫川の問いに何度もうなずいた。 うなずく度に涙が流れた。 「もしかしてもう声出ない?」 神崎の髪を鷲掴み、上向かせ訊く。 喉はかなり前から焼けるように痛かった。 イマラチオやコンドームの中の精子を飲まされて何度も嘔吐して喉が傷ついた為でもあるが、何より神崎が絶叫のような悲鳴を長くあげていた事を姫川は記憶していない。 神崎はゆっくり瞬きをして意思表示をした。 『もうやめてくれ』と訴える神崎の悲哀の目はけれど悪い事に姫川の嗜虐心を煽ってしまった。 見た事の無い弱り方をする神崎に姫川の喉が鳴った。 「あ、抜けた」 「…………~ッ」 体を動かした拍子に性器が神崎から抜ける。 反射で逃げた神崎の腰を、姫川の節くれだった長い指が捕まえると大げさにビクと跳ねた。 長時間のセックスで過敏になったからでもあったが、それよりも恐怖で体が萎縮してしまう。 そんな拒絶もかまわず、姫川は神崎の膝裏に腕を掛け尻を上向かせた。体の柔らかさが災いして、姫川が力をいれるがままに大きく開脚させられてしまう。 「うっわー穴閉じねーし。中ヒクついてんのえっろ」 あられもない格好で秘部を覗き込まれる恥辱に神崎は目を背けた。拡張され続けた場所はぽっかり穴が拡き、薄桃の肉がヌメ光りヒクヒクと収縮する。 「う、う……も、やえ、て」 掠れてざらついた震える声が制止を求めた。 逃れようともがき力を入れると直腸に溜まった姫川の精液が穴から泡だって噴いてしまう。漏らしたかのような感覚に神崎は顔を青くさせて体を硬直させた。 「う、うぅ……」 体内から流れ出る液体の感触。 尻を伝い流れる液体は姫川の精液なのか。 それとも自分の血液なのか。それとも……。 恐る恐る穴に伸ばした手は姫川に弾き落とされた。 「うわ、すっげぇ出る。ヌルヌルすぎると思ったわ」 「ひっ……」 神崎とは反対に、弾んだ声の姫川は嬉々として神崎のヒクつく穴に指2本を無遠慮に埋め、グニグニ左右に拡げた。 覗き込めば、収縮する肉が蠢き視覚に興奮を与える。 「すげー。奥まで脈打ってんの見えてんぞ」 「うぅ……こ、わい、……な、に、」 青い顔と怯えた目が姫川を見上げる。 体内をじっとり見られる恥辱に加えてこれまでとは明らかに違う姫川の行動。本能だけを追ってくれるならまだいい。 理性を取り戻した姫川からは何をされるか分からない。 姫川の嗜虐を受け続けてきた神崎は恐怖に息を飲んだ。 「も、うやだ、……か、えり、たい、こわ、い……」 掠れた声を振り絞り姫川にそう伝えるも、姫川は喉で笑い更に足を左右に割り神崎に羞恥を追わせた。 「お前の穴、ちゃんとまんこに仕上がってんじゃん」 「っ、うう、や、め……もう、痛い、の、つら、い」 「知るかよ見せろ」 女とは違う。けれど女のように蕩けた性器に変わった穴。 それも神崎の穴だ、興味は尽きない。 入り口にある精液の塊を指で抉り出してみた。 「うぅっ……」 かき出された精液がボタと落ちる。直腸の奥深くに残る精液にも姫川の長い指が伸びて、くの字に折れては抉り出る。 「ンっあ、ぁっや、だって……~ッ!」 体内で遠慮なく動き回る指に神崎が首を振った。 痛みはもうない。けれど蠢く姫川の指は身体が震えてしまう程怖い。涙が散った。 「うぅ、うう……」 指の腹が肉ヒダを擦り前立腺をかすめた。 長い挿入で強引に開発させられた性感帯への刺激。 一瞬走った性感に神崎は唇を噛んで顔を反らした。 「うわ、まだ出てくんぞ」 姫川の指と一緒に腸道を精液が滑り落ちていく。 後から後から掻きずり出される精液に神崎は喉で声を弾けさせた。声を出して姫川の興奮を煽る事はなんとしてもしたくなかった。 「なんで声我慢すんの?声出る事は出るんだろ?」 そんな神崎の思惑に気づいた姫川がイタズラに笑む。 神崎を見下ろしながら薄い腹に手を乗せ体重をかけた。 「はい、腹式呼キュー」 「うぐっ……ぅうう、痛、姫、川っ」 腹の上に乗るガシりとした姫川の太い腕に弱弱しい神崎の指が絡まる。どかそうともビクともしない。 襲う痛みと苦しさに神崎は押しどける事を諦め、 「痛い、苦しい」と情に訴え何度も姫川の腕を叩く。 けれど、ペチンペチンと乾いた音が鳴るだけで、無常にも腕は深く沈んでいった。 「やめ、やめ、て、……ッいだ、い゛ぃ」 神崎のくぐもった声と共に、腸に溜め込まれた精液が姫川の体重に押し出されていく。ぐぱぐぱと空気と一緒に泡を作って流れ落ち、尻を伝って水溜りを作った。 広がる強い臭いに神崎はきつく目を閉じた。 「おー色んなもんが出る出る」 「うっ……うぅ」 「すげぇ中出したんだな俺。我ながら引くわ」 呆れて笑う姫川は、ベッドサイドに落ちていたティッシュケースを拾い上げ、乱雑に重ね取ると体液に汚れた神崎の穴を拭った。 「ん……っ」 ティッシュ越しの親指の力に神崎の体が震える。 ぬる付いて気持ちが悪かったその場所が空気に触れる。 セックスの終わりの予感に安堵が訪れた。 と、同時に疲れと睡魔が襲ってくる。 限界に近いまぶたの重みに任せ、意識を手放そうとする神崎の頬にバン、と強い衝撃が走った。 次いで火のように痛む頬。神崎の目が涙が滲む。 「な、に……す」 恐る恐る見上げると、無表情で冷たく視線を落とす姫川がさらにもう一度平手を振り下ろす瞬間だった。 反対の頬にも衝撃が走り涙が散る。 「ッうっ、ぐ、痛っ……」 「寝るなよ、咥えろ」 「も、う寝た、い、つ、らい……」 殴られた痛みと恐怖。それから姫川の氷の様な目に、意思には関係なく涙がただただ零れた。ポロポロと大粒の涙が忙しなく溢れて後頭部へ流れていく。 姫川への恐怖で心臓がバクバクと早鐘を鳴らしていた。 「はい、あーん」 「うぅ……」 姫川は頬を赤く腫らし泣く神崎の胸元にまたがって神崎の口元へ性器を宛がい腰をついた。 神崎の唇が姫川の亀頭で押されて開く。 目の前に突きつけられる性器は同性であるがゆえ見慣れてはいたが、勃起し体液にぬめ光り血管の浮く性器はまったく別のもののようで、神崎の心に冷たいものを走らせた。 それでも植え付けられた恐怖心は震えながらも口を開かせる。亀頭を舌に乗せ吸ってみる。 上目に姫川を見上げれば、冷えた目が見下ろしていた。 「何それ。掃除しろって」 「……ふっ、う、ぅ」 「お前のまんこ綺麗にしてやったんだから、 俺のも喉までつっこんで掃除しろよ」 「ンぐっ、ぅ」 ぐいぐいと性器で頬を押され催促される。 喉まで来ていないという事は散々やらされたイマラチオとは違うらしい。掃除というからには舐めればいいのだろうか……。どうしていいか分からないまま、とりあえず神崎は口の中の肉の形に沿って歯を立てないよう一生懸命舌を這わせた。 「下手だなー。早く終わりたかったらもっと工夫しろよ」 「ンッう、う」 よかった、これで終わりなんだ……。 神崎の目に幾分か生気が戻る。 早く終りたい、寝たい、風呂に入りたい。 その一心でカリ首に舌を這わせ、亀頭はパクと咥えて唾液を絡めて形に沿って舐める。 滲んできた尿道のカウパー液は口をすぼめて吸った。 不安定に動いてしまう性器を両手で支えると、手錠が揺れて傷ついた手首を擦る。痛みがあったが今は姫川の命令を先にこなさなければまた殴られる。痛みと呼吸の苦しさに涙を流しながら神崎は必死に舌を這わせ続けた。 「おー最高。あの神崎が泣きながらフェラってんの」 萎え掛けていた性器がまた角度をつけはじめる。 口の中でまた硬さと大きさを取り戻していく性器に神崎は悲痛に眉根を寄せ、恐怖で鼻を啜った。 「何?そろそろガチ泣きしちゃう?」 咥えたまま、スンスン鼻をすすらせ肩を震わせる神崎の頭を姫川は優しく撫でる。 「大丈夫。これで終わらせてやっから」 姫川の言葉に神崎の表情がわずかに明るくなった。 「フェラに夢中な所、ちょっとごめんねー」 姫川が腰を上げた。 抜けた性器に神崎がどうしたのかと、見上げる前に姫川の両手が神崎の頭をがっちりと掴んだ。顔を上向きに枕に押し付けられ、神崎の口が苦しさに大きく開く。 「オェ゛……ッ!エ、ウうう!」 喉に杭を打ち込まれたような衝撃を味わった。 奥まで届く姫川の太長い性器がガポガポと音を立て狭い喉口を往復する。 「んん゛んぐぅー!ン゛ンンぅ゛!」 あまりの苦しさに大きく見開かれた目から涙があふれ、鼻水も零れた。バタバタ暴れる神崎の足がシーツを蹴る。 息が出来ない上に、喉を叩く凶器に何度も嗚咽した。 逃げようにも強い力で頭を固定され、なす術なく涙を撒く。 「あー……イケそっ、」 胃袋に叩きこむ勢いで射精があった。 食道伝って精液の塊がずり落ちていく感触。 「はっ……なんとかイけたわ」 「がっ、げほっげほっ、う、ぉ゛えっ」 「おいしかった?」 「はっは、はぁ、はぁっ、あっ、は、ぁっ」 乱れたシーツの上、神崎が体を丸めて激しく咳き込んでベッドに沈む。喉にへばりつく精液が吐き気を催し続けるがもう吐く力もなければ、すでに吐き尽くして吐くものも無い。 なにより限界だった。もう指一本動かせそうにない。 息も絶え絶えのまま、ただ虚に目を開け放心する事しかできなかった。 「聞いてんだろ?おいしかった?」 神崎の短い髪を掴んで上向かせると、頬を平手でパンッと叩いて訊いた。 限界を超えた神崎にもう答える力はなかった。 殴り叩いても無反応な神崎に姫川は舌を打ち、既に赤く腫れ上がった頬を今度は拳で手加減無く殴る。 ゴキンと骨のぶつかる鈍い音。衝撃で神崎の体が跳ねた。 殴られた事で起こした脳震盪が意識の混濁が深まらせ、恐怖に震え続ける神崎から涙が一塊で零れ落ちる。 声無く涙する神崎は姫川の自虐心を満たし続けた。 「妊娠しちゃうかなー?奥まで精子入り込んでんぞ」 「う……あ……」 ツプ、と身体に滑り込む指を神崎は感じた。 もはや今自分がどこにいるかすら定かで無かったが、姫川の2本の長い指が直腸に絡み残った精液をかき出すように蠢いている。 さっきので終わりにしてくれるんじゃなかったのかよ……。 なんて抗議を起こしたい所だったが、声を出す力もない。 荒く呼吸を繰り返す神崎は姫川に腸壁を指で弄ばれながら終わりを願って天井を見上げた。 「なぁ神崎。このバイブ入んの?お前」 姫川の問い掛けに弱弱しい視線を向ける。 視界に姫川が手に持つバイブが映った。 先端だけでも痛みに絶叫した規格外のバイブだった。 「前にAV嬢と遊んだ時ハメた最高記録つって 持ってきてな。俺んち置いてったんだよコレ」 こどもの腕程もあるそれは、無理に入れててもすぐに出てしまうほど。 神崎が痛みで、失禁して失神するまで散々試した。 だから姫川も諦めて投げ捨てたのだったがそれを覚えていない姫川は青ざめる神崎をよそに、拡きっぱなしになっている神崎の穴へあてがった。 「はい、んな、無理、そ、れほんと、に痛…… いや、やめ……やだ、やだ、こわ、いぃ」 掠れた声で必死に静止を願った。 もう後ずさる事も首を振ることも出来ない。 ベッドの上で姫川に脚を開かされたまま恐怖に泣くしか出来ない。姫川が一瞬手を止めて、それから優しく笑んだ。 「お前はクスリ使ってねーんだろ?」 「?う、ん」 「いやーよく1人で俺の相手したな。がんばったよお前」 同時、言い知れない圧迫感が神崎の腸道を埋め尽くした。 内臓が質量に押し上げられ込みあがる吐き気。 「……ッ!?ぐ、……ッア゛ぎ」 麻痺したはずの身体が裂けるように痛む。 あのバイブが埋まってしまったのは明らかだった。 どうあっても入りそうになかったサイズのものが埋まるまでに肛門が拡がってしまった事への恐怖と鋭い痛み。 ボロボロと大粒の涙が神崎の頬を落ちていく。 「ひ、ぎ……ッぬ、ぃ……でぇ!」 「あー?つーかすっげぇ。これ入んのかよ」 「は、いんなぁ……いッ痛い、痛ぃ、いぃ゛おね、がッ も ぉ助げ、やめ、でくだ、さぃ、い゛」 「はは、敬語使い出してんじゃん。何でもする?」 「す、るが、らァ゛」 「じゃあ両手でピースして笑え」 「………な、に゛?」 戸惑う神崎に姫川がため息を漏らしバイブに手を掛けた。 慌てた神崎は震える指で崩れたピースを作り姫川を見た。 「笑えつってんだろ」 神崎の手を顔の両脇に移動させながら無表情が言う。 言われた通り神崎が口角を上げると姫川が喉で笑った。 「ブッサイクだなーお前。よくお前に勃ったわ俺」 ベッドに落ちるスマホに手を伸ばしてシャッターを切る。 それから動画に切り替えると、尻肉を左右に拡げてバイブを咥える穴を撮った。 「『エッチ楽しかったです。ありがとうございました』 って言え」 「…………」 「言えって」 「え、ち、楽しかったです、ありが……ございました……」 スマホの小さなレンズを眼前に向けられた神崎は半ば意識を手放しながら口を開く。 もう何を言わされているかもよく分からない。 姫川はスマホをベッドに投げ小さく笑った。 「覚えてねーけどこれレイプだろ?ごめんねー」 「…………」 「でも神崎クンもエッチ楽しみました的な素材あっから。 お家のこわーいオジサン達連れてこないでね? 始末メンドーだから」 謝る形は取ってみたものの、『抵抗しきれなかった神崎が悪い』が姫川の本心だった。 「あれ?死んだ?」 無反応な神崎の顔を覗き込む。 焦点の合わない目に姫川は映っていなかった。 「もしもーし」 「………」 「かわいそーだからせめて洗ってやるよ」 姫川が痙攣する神崎の腕を引き体を抱き起こすと、人形のように神崎の身体が姫川に倒れた。 「あ?テメーで歩けよ。立てねーの?」 頭上のため息に神崎の心臓が跳ねた。殴られる。 気力を振り絞るも、力の入らない足では体重を支えきれず床に崩れ落ちてしまう。 ただ、バイブが抜け落ち足が震えただけに終った。 「だる。やっぱお前テキトーに帰れ。俺もー寝るから」 「…………」 「ああ、慰謝料とか治療費なら言い値でいーよー」 床に倒れ込んだままの神崎へ言い捨てる姫川は、脱ぎ散らかした服を羽織って部屋を後にした。 パタンと無常にしまるドア。 もう何を言う気力も無い。 とにかくもう終わった。開放された。 神崎は床の冷たさを感じながら意識を手放した。 * 翌朝。 タワーマンションのエントランスに白金に輝くロールスロイスのリムジンがあった。姫川の登校のための送迎車だ。 億ションであるマンション内では高級車も珍しく無い。 しかしそんな目の肥えた住民も、通常の3倍長くカスタムされたリムジンには流石に振り返る。 それも車の前で礼をする運転手に迎えられるのはリーゼントの高校生なのだ。 前のマンションが焔王に破壊され、投資用に所有していたこのマンションに姫川が越して来て半月。毎朝の光景として馴染むにはまだ早く毎朝注目を買っていた。 しかし姫川はそんな注目もどこ吹く風、我関せず車に乗り込むとスマホを開いた。 あれから一夜。 姫川が起きた頃には神崎の気配はなかった。 恨み言のメールの1つもない。 どうやって帰ったのか、報復はいつしにくるのか。 想像をすればするほど神崎の反応が楽しみだった。 怪我も精神ダメージも深そうだ。学校にはしばらく来ないだろう。城山と夏目が見舞いに行くのなら2人に一緒について行くのも面白い。手が付けられないほどキレるだろか。 それとも城山と夏目の前で怯えてくれるだろうか。 姫川がそんな想いを馳せている内に車は停車した。 「竜也様」 校門の一区画前に車を停めた運転手が姫川を振り返る。 「今日は別の車が停まっておりますのでこちらでも」 「いーよ、別に」 「恐縮でございます」 聖石矢魔は上流家庭の生徒も多いが、送迎付きで登校する生徒はいない。稀に親の通勤ついでや怪我などで車登校する生徒はいるが姫川が登校する始業間際の時間に鉢合わせた事は初めてだ。 姫川は前に停まる車へ目を向けた。 お坊ちゃん高校らしく黒塗りの高級車だ。それも車会社が自社の重役用に作るハイグレードなセダン車で街中でもあまり見ない。それもスーツの男が後部座席へ回る様を見るに運転手付きだ。 このレベルの生徒が聖にもいるんだな、そう姫川がぼんやり見つめる先。降りてきたのは予想外にも神崎で、姫川はドアに手をかける運転手を止めた。 「待て。前の車が行ってから降りる」 神崎の後を追って車から降りたのはスーツ姿の男。 白い派手なスーツは遠目にも目立つ。よく見れば運転手もエンジ色と金の縦縞スーツで明らかに堅気ではない。 朝日に反射した金バッチが襟元で光る。 神崎に2度振り払われても心配そうに後を追う白いスーツの男が3回目に駆け寄った時、いよいよ神崎に蹴られて車に戻った所までを見届けた姫川は感心した。 しつこい保護者のような男にではない。神崎にだ。 昨日、あれだけ憔悴仕切っていたのにも関わらず、人を足蹴にできるタフさを感心すると同時に普段車登校しない神崎が送迎されている事が引っかっかった。 心配されるという事は家の人間に話したのだろう。 一体どう話したのか。もしくは悟られてしまったのか。 ガタイのいい強面の男2人が車の側に立ち神崎の後姿を心配そうに見つめていた。 神崎の姿が見えなくなると、後ろ髪を引かれる様子で力なく車に乗り込み走り去って行った。 「いーね、面白くなってきた」 笑みを浮かべる姫川は好奇心に胸を躍らせ降車した。 * 姫川が神崎に追いついたのは教室だった。 マフラーを外しロッカーに投げ入れる神崎の肩を叩く。 「よ、神崎クン」 声で相手を悟った神崎は肩に乗る手をしばらく身じろぎせず見たが、姫川に視線を上げ別段表情を崩さず返事をする。 「おー。はよ」 まるで日常だった。 無視をするでもない、殴りかかってくるでもない。 さっさと自分の席に落ち着いてしまう。 いつものように気だるく腰を滑らせて座り、隣の席の古市が読んでいた雑誌を当たり前のように取り上げパラパラめくる。まったくの日常だった。 何事もなかったかのように振舞う神崎に期待の外れた姫川は神崎の背中を冷ややかに見ながら、神崎の斜め前である自席に鞄を下ろし神崎を振り返った。 「なぁ神崎」 「んー?」 薬のキメすぎで幻覚でも見たかと疑うほど。 けれど神崎の掠れた声は昨晩を現実付ける。 姫川が神崎の隣に立つと、雑誌に落ちた影に神崎が顔を上げて小首を傾げた。 「さっきからオレになんか用か?」 「昨日いつ帰ったのお前?」 「……多分11時ぐれーかな。家のに迎えにこさせた」 「蓮井に送らせたのに。気づかなくてごめんなー?」 出来るだけ優しい声で皮肉に聞こえるように。 姫川は神崎の目を見据えて言った。 目を伏せ押し黙った神崎は古市の後頭部に雑誌を投げ返してからチラと周りがそれぞれの会話に夢中な事を確認して姫川のシャツの裾をクイクイと引く。 「あ?何」 「いや、屈んで」 「何で」 「耳かせ」 ならそう最初から言え、という視線を送りながらもオーダー通り屈む姫川に神崎は耳打ちした。 「オレ、お前んちにピアス忘れた」 「あ?」 何を言うかと思えば。 改めて神崎をしげしげと見つめれば確かにいつもジャラジャラしている耳元が涼しい。 透明のシリコンピアスがいくつか付いているだけだった。 「放課後、お前んち行っていー?」 「……は?」 「ピアス探すついでに遊んでく」 殴りすぎて記憶とんだか? 『今日お前んちで遊ぶ』と言って来た一昨日と同じ。 まったく警戒心のカケラもない神崎に姫川の眉根が寄る。 「もしかして覚えてねーの?昨日の事」 そんなわけないだろと思いつつも訊いてみれば、 「は?そんなわけないだろ」 まったく同じ返事があった。 「ん……アレってもしかして合意?」 「…………ちげーけど」 「え、おかしくね?普通あれだけされてまた家くる?」 「いい。気にして無い」 「は?何お前頭大丈夫か?」 「いや、だって謝ったじゃん。お前」 「謝った?俺が?」 「覚えてねーけどごめんねーつってた」 「は?あれで許すの?」 「え、うん」 姫川は首根を掻いた。 散々殴られた場所を青黒く腫らして何を言うんだ。 皮肉で言った事を謝罪と受け取って一切怒りもせず、ただただ受け流す。意図の見えない神崎に不気味さを感じた。 「ま、とにかく今日はお前んち行くから。 オラ、早乙女来たぞ。散れ散れ」 殺されでもするんだろうか? それとも物的証拠でも挙げて法に訴えてくるか。 どちらにせよ金の前ではどうにでもなる些細な事だったが腑に落ちない。その日一日、ただただ変わらぬ日常を過ごす神崎を姫川は観察した。 休み時間には、いつも通り城山と夏目との下らない話で盛り上り、昼休みには烈怒帝瑠女子会の輪に巻き込まれる。 大森と邦枝に挟まれた席ではよくある事で、最初こそ最後列の城山夏目の席に避難していた神崎だったが、焔王事変の馴れ合い以後は自席に留まり大森の机に広がる菓子をつまむ事も多い。 女子側も女子側で、いつしか神崎がいる事を想定して持ち寄る菓子に甘めの物が増えた始末だ。 避難したとしても姫川の席に寄る程度に変わっていた。 そこに城山と夏目が加わりゲームに興じる。多くはモンハンだったが、城山が根を上げた時は谷村が代打に入る。もはや神崎を中心に境界はあやふやだった。 今日は、神崎がゲーム機を持ってきていないと言う理由で城山と夏目は自席で談笑していた。 男鹿と古市は昼休みはずっと屋上にいる。不在の古市の机から、朝の雑誌を我が物顔で引き抜いた神崎は続きをパラパラ眺めつつ大森の机から菓子をつまむ。 これがいつしか違和感のない特設クラスの日常だった。 改めて振り返れば随分馴れ合いが濃くなったものだ。ここの所、毎日続いたモンハンの介護のような手伝いも無い久しぶりの自分だけの時間に姫川は観察を止めスマホを開いた。 「やっぱ単車は最低限改造しててほしーわね」 「あー下川の単車見た?あのクソだせーカスタム」 「アハハ!見た!マフラーデカすぎだろアレ!」 「ケツに乗る女の事も考えろってな」 「えっ!下川先パイって女いるんすか!?」 「前に乗ってるの……見たかも」 「あーそれアイツん所の族女ってだけだぞ」 「いたらしつこく葵姐さんに粉かけないでしょ」 「あんなのと付き合うならいねぇ方がマシっすよ」 「じゃあどんな男なら付き合うのよ?」 烈怒帝瑠女子会の声量は議題がヒートアップすればする程激しくなる。今日の議題である『理想の彼氏』は過去に何度も上がった話題だが何度でも白熱する話題であった。 とても静かに読書する環境では無くなった神崎は議題に茶々を挟んで楽しむ事に切り替えた。 そもそも『女子モテ!エスコート秋冬ファッション』を特集に組んだ雑誌は神崎の興味を引かなかったようだった。古市の机に雑誌を投げ捨てながら神崎が鼻で笑う。 「お前らの理想のカレシとかどーせATMだろーが」 「それは旦那っす!カレシは一途に想われてーっスね」 「そうね。最低腕に名前彫ってほしいわ」 「いやそれ別れたらどーすんだよ」 「だからぁ別れないって誓いなんじゃねえっスかあ!」 「おい姫川。テメー、たらしの立場で現実教えてやれよ」 「あ?巻き込んでじゃねーよ。知るかよ」 一瞬いよいよ行動に移して来たかと身構えた姫川だったが、よくよく思い返せば神崎のこの絡み方も日常だった。 「姫川先輩は女替えすぎで体中名前だらけ……かも」 「アハハ!あれっしょ?体にお経かきまくるヤツ」 「あー寿限無な」 「それそれ!神崎先パイマジ博識~!」 「まあな常識だ」 耳なし芳一だろ、そう突っ込むか一瞬迷った姫川だったが盛り上がる黄色い声に得意気な神崎の上機嫌を藪蛇する事も無い。もういっそ早く要求を教えてくれれば楽なのに。 様々な思慮を浮かべている内に放課後になった。 * 「姫川ぁ、帰ろーぜー」 「……ああ」 放課後のチャイムが鳴りざわつく教室。 城山と夏目に手を振って別れを告げ、席を立った神崎は斜め向かいに座す姫川の肩を叩いた。 呼ばれた姫川は席を立ち神崎を振り返らず教室を出る。 さくさく進んでしまう姫川を神崎は歩きづらそうに追った。 『神崎君、足怪我したの?』 最初に気づいたのは夏目だった。 2時間目の終わり、夏目の指摘に姫川は思わず神崎を振り返った。姫川と目が合った神崎はふいっと逸らしながら寝違えたとあしらい、夏目の好奇心と城山の心配を振り切った。結局神崎はトイレ以外ほとんど席にいた。女子会の渦中にいたのもそういう理由だ。 「待てって、早い」 あわよくば撒いてしまおうと思っていた姫川だったが、 神崎にグイと腕を引かれて足を止めた。 「今日ゆっくり歩いてくんねぇ?てかいつもより早くね」 肩で息をする神崎の姿は昨日の姿を彷彿とさせた。 クスリが効いていた間の記憶はハッキリしないが、理性が戻ってきてから見た神崎はそれなりにそそるものがあった。 その姿を思い出させる神崎を見下ろしていると、視線に気づいた神崎が顔を上げ訊いた。 「あ、どっか寄りたいとこあんの?」 「別に」 「あ、お前!昨日オレにピアス買ってくれるつったろ? もしかしてそこ?」 「は?なんで俺が」 「え、覚えてねーの?」 姫川はうんざりと、首を振った。 「んだよ、しらばっくれやがって」 口を尖らせる神崎に、それはこっちのセリフだと姫川は心内に呟いた。何故普通で居られるのかが分からない。 神崎の歩幅に強制的に合わせられながら辿り着いた昇降口。靴箱から自分の靴を投げ捨て、ついでに一段高い場所にある神崎の靴も足元へ置いた。 多少の罪悪感からついやってしまった行動だった。 「こんな偽善じゃ誤魔化されねーけど。 てかお前オレの事チビ扱いしたろ今の!」 神崎は姫川を支えにローファーに足を入れ、姫川を睨みながら自分で内履きを戻す。 「……別に。ピアスぐれえ俺が買うつったなら買うけど」 「どこで売ってんの?」 「あ?テメーの欲しいもん、場所ぐらい知っとけよ」 靴箱の扉をバンと乱暴に閉めて構わず先を行ってしまう姫川を小走りで追いかけた神崎は姫川の袖口を掴んで訊いた。 「姫川?何で機嫌悪いのお前」 「……ああ?」 「昨日の事ならお前謝ったし、オレも許したじゃん」 「普通は許すもんじゃねーんだよ。 お前の意図が分からなくて不気味なんだよ」 「意図?」 「写真と動画か?俺の隙ついてケータイ奪いてーんだろ? もう欲しけりゃくれてやるよ。 だから気持ち悪ぃ態度とんのやめてくんねー?」 思ったままをぶつければ神崎は姫川から視線を落とし黙り込む。しばらくの沈黙があった。目を泳がせ言葉を探す神崎は、おずおず姫川を見上げ口を開いた。 「ピアスなんだけどよー」 「話逸らすな」 「そらしてねーけど。これ、昨日お前が開けたんだぞ? オレ何度も嫌だつったのに無理やりよぉ」 「あ?」 言われた姫川は目を細め、神崎の耳にあるシリコンピアスを訝しげにひっぱる。 痛いと神崎が声を漏らすも構わず見た。 確かにそこには赤くなった新しそうな穴が3つある。 「オレ、こっちの耳1コしか開いてなかったんだぞ」 「知らねーよ」 「痛かったし穴増やされて面倒なのも、 ピアスくれるっつーから許してやったのに」 「開けた所のピアス買ってやるつったの?俺が?」 「うん。お前が今してるハイブラのなんとかって奴。 俺はお前と同じのでもいーんだけど、 そのなんとかって奴がオレには似合うつってた」 「え、で、お前はそれが欲しいだけ?」 「?うん」 姫川はますます混乱した。意味が分からなかった。 いつもの神崎ならブランドに拘るどころかブランド物なんて女々しいだのなんだの言うくせによりによって自分のしているものと同じものが欲しいという。 高価と言われれば、確かにそれなりだが詫びの対価にしては安い。すぐ売ったとて神崎にとっても端金だ。 いよいよ不気味が極まる。 姫川は半ば神崎を引きずるように大通りへ出るとタクシーを止め、神崎を押し込み自宅を運転手に告げた。 「買いにいかねーの?」 「日本にねーし」 「……結局買ってくんねーんじゃん」 「さっさと自分の探してそれでもつけてろ」 「………わーったよ」 * 「お邪魔しまーす」と靴を並べる神崎を玄関に置いて、姫川はリビングのソファに寝転んだ。 なるべく関わりたくなかった。 タクシーの中でうとうと眠気にまどろむ神崎にもたれ掛かられていたのすら居心地が悪かった。玄関から届く神崎の、「探していーか?」という声に適当に相槌を打つ。 (そういえばあの部屋そのままだったな) 部屋の掃除は3日に1度ハウスキーパーが入る。 元の家ほど部屋数は多くないが最上階は一戸しかない。 それもメゾネットの為、住居としての広さに申し分は無い。 だが、フロアごとに用途を別けて使えた前の家程の利便さが無い事を嫌って使っていなかった。女を連れ込む部屋を別けられなくなった為に、もっぱら家に連れ込む頻度も減った。 そうなると毎日の掃除も必要無くうっとおしいだけだ。 低めに設定した頻度がここで功を奏した。 使用済みコンドーム、吐瀉物、血痕、手錠その他諸々。 凄惨な状態の部屋の掃除を他人へ頼むのは、さすがの姫川も人に気が引けた。何より通報されかねない。となると身内しか頼めない。姫川は蓮井へ連絡する為スマホを取った。 「電話、いやメールでいーか」 慣れない寝転んだままの操作で姫川の指が目的のメールではなく、動画フォルダを選択した。 脅す用途以外、別段使わないそのフォルダがやけに容量を食っている。 なんだ、と開けば撮った覚えの無い昨日の動画がいくつものファイルに分かれて収まっていた。 「……え」 薬を使って理性が飛んでいる時に撮ったのだろう。 中でも神崎の表情が恐怖に染まり涙に濡れているサムネイルのファイルを開けば、確かに嫌がる神崎に無理やりピアスを開けていた。片手にスマホを持っているのだろう。 バチンと一際大きいピアッサーの音と同時に画面がぶれた。ベッドの上に全裸で座らされた神崎の両手首には手錠がはまり、腕はガムテープで巻かれている。 ベッドの上の血に塗れたティッシュと針を見るにすんなり事は進んでいない。神崎の首筋にはダラダラ流れる耳からの出血がへばり付いていた。 『もう1個いくよー』 『え、な、んで、もう2個もあけ、たろ……』 『ニードルやめてやったろー? つーかお前が動くから痛ぇんだろーが』 『穴、あけんの……もうやめて、くれ』 『んじゃ耳これで終わりな。次は乳首いくかァ』 『い、嫌、頼むから……セ、セックスでいーから、 ピアス、もうやめ、』 神崎がきつく目を閉じるとぼたぼたと涙が落ちる。 うめき声と貫通音の3度目が鳴った時、そのファイルは再生を終えた。 思ったよりも酷い事をしている。 姫川は額を抑え、他のファイルを再生した。 スタンバトンで電流を流し、腕を捻り上げ、腹を何度となく蹴り吐かせ、首を絞めて喉の奥まで性器を埋め、鼻をつまんでフェラをさせ、道具と一緒に性器を突っ込んで遊ぶ。 そんな動画があった。 どれも記憶に無いが、かつて敵対する人間やその女を拉致した際に配下に指示した手法だった。 神崎が高い声を上げている動画もあれば、おおよそ快楽とは程遠い絶叫に近い悲鳴をあげているものもある。こんな拷問まがいの事をされてたった一言の雑な謝罪で許すか? 姫川の疑念は益々強まった。目的は何だ。 「あいつ、何してる……?」 一向に戻ってこない神崎に姫川はソファを立った。 昨日、ゲストルームもといヤり部屋に腕を引いて連れ込んだ記憶はある。クスリがキマりだした頃で、頭が痛いからと神崎を騙して付き添わせベッドに投げ飛ばした。 それからは思い出せなかった。 わずかに開いたドアを押せば何かに当たる。 姫川が覗き込むと同時、室内からドアが引かれドアのすぐそばにいた神崎と目が合った。 ブラインドを締め切った暗い部屋でただ立ち尽くす無表情の神崎に姫川の心拍が上がった。 ここ最近の表情豊かな神崎からは思い出せなくなっていたが、見る者を威圧し畏怖させる氷のような黒く沈む目。斜視も相まって視線の先が定かでない目は動かない。 「……ピアス、あったのかよ」 神崎は無言でなくしたというピアスを嵌めた耳を指差した。 神崎の耳元で揺れるいつもの赤い石が黒く鈍く光る。 「じゃあもう帰──」 姫川が神崎の腕を引いて追い出そうとした所で視界にベッドの惨状が映った。昨日のまま。 血が黒く染まり臭いも籠る。こんな所に居たくは無い。 加害側でもそう思うのに、ずっとこの部屋でピアスを探していた神崎の真意が読めない。 姫川の背筋に冷たいものが走った。 「本当に覚えてねぇの」 呟いた神崎の掠れた声が低く訊く。 冷たい視線でベッドを指して、それから姫川を見た。 「悪いけどマジで覚えてない」 「この部屋見ても?」 「しつけーな。分かんねーって」 なぜ、あそこまでしたか見当が付かなかった。 単にノリで強引にセックスした程度に思っていた姫川に今になってようやく罪悪感が湧いた。 神崎の目的が金なら言い値に色をつけてもいい。 うつむいて、今にも泣き出しそうになっている神崎を横目にそう思った。 「まあ……さっき動画は見た」 「撮ってたもんな、お前」 「ピアスのくだりもあったんだけど」 「うん」 「開けた所で終ってた」 「……じゃあ何でオレに穴開けたかも思い出せねえ?」 「何が言いてーの。示談金でも何でも出すっつってんだろ」 「そうじゃねぇだろ」 「はあ?わけわかんねえ」 「もういい」 神崎は舌打ちをして姫川を押しのけ部屋を出る。 「帰んの?」 「何でそう帰りたがらすんだよ。体だるいから休ませろ」 リビングに戻ると、神崎はそれまで姫川が寝転んでいたソファに深く座り、離れて座ろうとしていた姫川を、 「姫川、となり」 ポンポンと座面を叩き隣に座らせた。 「はあ……。『もういい』んじゃねーのかよ。何?」 「何って?」 「金じゃねえんだろ?動画消して謝ればいーの?」 「まあ消してほしーけど……。そーじゃなくて」 「うん」 「あーお前、何でクスリ飲んだか覚えてるか?」 「さー?お前と酒飲んでてその時なんかあったよーな」 「あー……うん。そこは覚えてんのか」 「なんとなく」 「オレが冷蔵庫にあったクスリ見つけて、何でも 冷やすなってからかって持ってきたのは覚えてる?」 「いや?」 「どーいう奴?ってきーたら、キメセク用で 単に五感が増すぐれえつーから試そうとしたら、 お前が慣れてない奴は危ないつって奪って飲んだ」 「んー記憶ねーな」 「酒回ってたし効きがおかしくなってたんだと思う。 お前風呂に酔い醒ますつって行ったと思ったら 帰ってきた時にはおかしかったし」 「あー……うん、なんか。うん」 言われてみればそんな気がした。 粉末に砕いていたクスリのパケを神崎が飲み物に混ぜて持って来た。少しだけなら気分がよくなる程度だ。そのまま飲ませても面白いとは思ったが薬に慣れていなければどう作用するかはわからない。暴れられても面倒だ。姫川は神崎からグラスを奪ってシンクへ立った。 そこで半分ほど飲んで捨てたのが姫川の過ちだった。 一包で3、4人分の分量があるそれを神崎が普通の風邪薬の要領で全てをグラスに注いでいた事を知らず、既に十分な量のアルコールが回っていた体で飲んだのだ。 分量のミスに気付いたのは神崎に誘われるまま、オンラインゲームでチームを組んでの一戦目。 間もなくして、BGMが変に鮮明に聞こえている事に姫川は気づいた。ヘッドホンを付けないと聞こえないような重低音が心臓を叩く。武器を構える微かな音が大きく聞こえる。 それから隣に座る神崎から甘い匂いがした。後席の大森から移った香水だ。そんな薄い香りさえ判るという事は──。 「おい神崎。さっきのクスリ、パケ全部入れた?」 「ん?うん。あれ?お前飲んだのかよ」 「……半分だけな」 「んだよーその半分オレにくれてもよかったろ」 「その半分が問題なんだよ。ちょっと俺の分もやっとけ」 「あ?え、おい待てって!」 半分といえど一包全てとなれば通常の濃度よりも遥かに濃い。異様なクスリの回りの早さに気づいた姫川は、洗面所に吐きに行った。記憶を掘り返せるのはそこまでだった。 「でもなんでそっからセックスになんだよ」 「それは、その……だな?お前の反応が面白くて」 「あ?」 「いやお前戻って来てもソファで死んでっし」 「うん」 「最初はつっつくぐれーだったんだけど、 お前がキレてヤりてぇつってきたから……」 「待て待て待て。え、俺がしてーつったからしたの?」 「まぁ……そーなる、けど」 神崎の証言を信じるならば、煽ってきたのも神崎だし、何よりセックスについては合意を取っている事になる。神崎が自分を庇って嘘をついている可能性もあるが、気まずそうにしている神崎を見るにそんな様子も無い。 姫川は神崎の両肩に手を置いてゆっくり訊いた。 「レイプじゃねえ?」 「うーん……。酷い事とか痛い事いっぱいされたけど、 あれがお前の性癖で普段のセックスってなら 違うんじゃね?けど、痛かったし怖かった」 「それだよな……。お前が素直にオッケーしたなら 俺キメててもあんなヤり方しねーはずなんだけど」 「……」 「お前どっか嘘ついてねぇ?」 「……途中で蹴って逃げた」 「だろーなー」 あの時。 セックスがしたいと言う姫川を指差して笑っていられたのも束の間だった。無言で服を脱ぎ、ベルトを外す姫川にどこまでやるんだと笑う神崎の表情が抜け落ちたのは姫川の異常な力だった。腕を掴まれ押し倒されたその瞬間に神崎は反射で姫川の腹を蹴り距離を置いた。 けれどソファに倒れたまま動かない姫川が心配になり、大丈夫かと近寄る。『頭が痛い』そう呟く姫川に、蹴った腹の痛みで無い事に内心ほっとした神崎だったが、その頭痛の原因もそもそも自分が薬を持ち出したからだ。 寝かしつけて帰ろう。 姫川に肩を貸し、場所を聞いて寝室に向かう。 やっとの思いで姫川をベッドに転がして神崎は気づく。 姫川の脱げかけたズボンの中、勃起した性器が下着を押していた。いたたまれない気持ちで視線を外すも、外した先で脂汗を流し苦しそうに喘ぐ姫川が視界に入った。 罪悪感でいっぱいだった。 仕方ない、あれもこれも自分のせいだ。抜くぐらいなら手伝ってやってもいいかと意を決めた矢先、姫川の拳が神崎の腹にめり込んだのだった。 「で、逃げんなって言われてガチめに何度も殴られた」 「あー……」 一度腹を蹴られ、神崎を殴り返した事でスイッチが切り替わってしまったんだろう。姫川は頭を抱え淡々と事情を話す神崎を横目で見た。 「で、お前は何で怒ってねえの。 それが気持ちわりーんだけど」 「……覚えてねーんだろ。言わねーと駄目?」 「いーから言えよ犯すぞ」 うつむき黙ってしまう神崎に「悪い、冗談」と慌てた姫川が肩に手をかけた時── 「オ、オレが告ったらお前もオレの事好きつったから」 「…………あ?告ったって、え、お前が?俺に?」 追求の答えは聞くまでも無かった。 神崎の顔が見る見る内に顔が真っ赤に染まっていく。 耳まで染まりきる紅潮が答えを教えた。 それだけじゃない。今日何度も見せた表情がまた現れた。 眉根がせばまって、目が泳いで泣きそうな。 その表情は「覚えてない」と言う度に現れていた。 まさかの神崎の反応に姫川は顔を背け口を手で覆った。 「あーお前がピアスにこだわってんの俺が何か言った?」 「うん」 「なんつった?」 「……オレが言うの?」 「何。そんな恥ずかしい事言った?」 「言った……」 記憶が無いというのは言うのはこれほど怖いのか。 口ごもる神崎の先を姫川が急かす。 神崎は深呼吸すると早口で言った。 「1回目が終った時に処女貫通記念つって穴開けられて、 もう俺の物つって抱きしめてベロチューしてきて、 消毒とかゆって耳舐めてきて、 ここに俺と同じピアス埋めて、ケツにはちんこ埋」 「わかった、わかった……。もう喋んな」 自分の口を押さえていた手を神崎の口元に押し付ける。 体重を掛けられてバランスを崩した神崎を追って姫川の体が覆いかぶさった。急に迫った距離。 口を塞がれたままの神崎が慌てて目を反らす。 「あのな神崎。マジに気持ちは嬉しーんだけど」 断り文句の常套句。何となくは分かっていた。 セックスのノリで出た「俺も好き、俺の物」という姫川の言葉を真に受けてしまっただけ。 口をふさがれている事が神崎にとっては逆に今はよかった。 薄々分かっていたものの、けれど今日一日心が弾んでいた。 片想いは終って、これからはもっと近い距離で特別な位置で姫川と過ごせる。 でも、話しかけるほど姫川の機嫌が悪くなっていく。 それどころか、昔のようにそっけない。 覚えてない、と無かった事にされそうで。 分かっていても胸が詰って声が出なかった。 言うんじゃなかった。 姫川に記憶が無いのを利用して嘘で固めればよかったのに、ついつい本当の事を話してしまった事の後悔で、目を閉じると涙が溢れて頬を伝い、姫川の指へ滲んだ。 慌てて姫川の手を払いのけながらぐいぐいと涙を拭う。 「俺覚えてねーし、昨日の事無かった事にできねぇ?」 恐れていた言葉が姫川から出た。 悪びれもない、姫川らしい淡々とした口調と表情で。 今日は雲ひとつ無い晴天のような輝かしい気持ちだった。 世界が輝いて見えたのに、今は雲と土埃に覆われて寸先も見えない暗黒の世界のように感じた。 「友達、は続けてくれ、んの」 喉の痛みを飲み込みながら、途切れ途切れに言葉を押し出す神崎にさすがの姫川も胸が痛んだ。 「いやまぁ、そりゃお前がいーなら」 言いながらふわふわの金髪を撫でた。 身勝手に開けてしまったピアスが目に入った姫川は神崎を抱き起こしシリコンピアスをそっと痛まないように外す。 「穴、すぐ塞がんだろ。跡にはなるかもしれねーけど」 「別、に。いい」 「悪かった、本当」 「謝ん、なよ!むかつく、……らしくないし」 「……」 姫川に振り回された怒りより悲しさが圧倒的だった。 穴を開けられた時は痛かったし驚いたけれど、俺の物という言葉が嬉しかった。どんな事でも我慢ができた。 でも、そのピアスが姫川本人から外されてしまう。 パチンとシリコンが鳴らす小さい音に堰を切ったように勝手に涙があふれた。 「う、わり、なんか、泣く、かもオレ、ごめ」 ぽたぽたと二人の間に雫が落ちソファに染みを作った。 降り始めの雨のような水滴が次第に間隔を早めていく。 頭を伏せ、声を殺して泣く神崎の背中を姫川は撫でた。 不気味であった神崎のおだやかさの正体が分かってスッキリはしたが、それが恋愛感情だった事に姫川は戸惑った。 それも恋愛事に無頓着そうな神崎に。 気に入らない人間は即排除する神崎に泣くほど執着を持たれた事は大きな衝撃だった。 思い返せば最近神崎と遊ぶ事が多かった。 神崎から誘われる事も、自分で誘う事も同じぐらい。 それが当たり前になって、 『今日は用事がある』 と、どちらかが言わない限り放課後は一緒に行動するのが常になってしまっていた。 きっかけはバレーの練習だ。その頃には夏目もいたが、バイトでいたりいなかったり。2人でいる事の違和感に気づかなくなっていた。 気が合い、居心地がいい。お互いに感じていた事だった。 だからと家に泊まる事も、まして神崎の部屋化していくゲストルームを許してしまった事も勘違いさせてしまう要因だったのだなと姫川はぼんやり思った。
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